ahamo

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政府圧力と若者獲得が生んだ異例の新ブランド

日本の通信業界において、NTTドコモは長らく安定性、信頼性、そして比較的高価格帯のサービスを提供する「巨人」として君臨してきた。そのドコモが、自らの内部に破壊的ともいえる変化を起こすことは、以前は想像し難いことであった。しかし、2020年後半、その「ありえないこと」が現実のものとなる。ドコモは「ahamo」を発表したのだ。洗練され、デジタルネイティブを強く意識した、低価格の新しいモバイルブランドが、既存の巨大企業の中から産声を上げた瞬間だった。

ahamoは、単なる新料金プランという枠を超えた存在である。それは、菅義偉政権(当時)による携帯電話料金引き下げへの強い要請と、変化し続ける消費者のニーズ、特に若年層の価値観という、前例のない要因が複雑に絡み合った結果として生まれた戦略的な一手であった。ahamoの誕生とその後の展開は、世界で最も洗練され、しかし歴史的に高価であった日本のモバイル市場における、政府の政策的影響力、企業の戦略的判断、そしてユーザー要求の間の複雑な力学を鮮明に映し出している。

デジタルネイティブ世代に向けた設計思想

政府からの値下げ圧力は、ahamo誕生の直接的な引き金となったが、ドコモ自身にも明確な戦略的狙いがあった。当時、競合他社への流出が目立っていた若年層、いわゆる「デジタルネイティブ」世代をいかにして取り込み、将来の顧客基盤を築くかという課題に直面していたのである。ahamoは、政治的な要請に応えると同時に、この獲得が難しかった若い世代をターゲットとする、ドコモの攻めの一手となった。

ahamoを貫く中核的な設計思想は、徹底した「デジタルファースト」である。申し込み手続きから各種設定変更、さらにはカスタマーサポートに至るまで、ほぼすべてのインタラクションがウェブサイトや専用アプリを通じて完結するように設計された。このオンライン完結モデルは、店舗運営や人件費といったコストを大幅に削減することを可能にした。それと同時に、テクノロジーを日常的に使いこなし、オンラインでの手続きに抵抗のないターゲット層を引きつける強力な魅力となった。一方で、このデジタルへの特化は、対面サポートや手厚いサービスを求める既存のドコモユーザー、特にデジタル手続きに不慣れな層が安易にahamoへ移行することを抑制するフィルターとしても機能した。これは、ドコモの主力事業である高価格帯プランとのカニバリゼーション(共食い)を最小限に抑えつつ、新たな顧客層を開拓するための、慎重に計算されたセグメンテーション戦略でもあった。

このデジタル体験への強いこだわりは、外部からも高く評価されることになる。ahamoの申し込みサイトおよび専用アプリを中心とした一連のサービス体験は、その優れたユーザーインターフェース(UI)とユーザーエクスペリエンス(UX)が認められ、2021年度グッドデザイン賞を受賞した。手続きの分かりやすさ、迷わせないシンプルな操作性が評価されたこの受賞は、従来、機能の豊富さや多さを追求しがちだったドコモのサービス開発のあり方とは一線を画すものであり、ahamoがいかにユーザー視点での使いやすさを重視して設計されたかを象徴する出来事となった。さらに、公式サイトのドメインに一般的な「.ne.jp」や「.co.jp」ではなく「.com」を採用した点も、ahamoを従来のドコモサービスとは異なる、独立したモダンなブランドとして位置づけようとする意志の表れと言えるだろう。

2021年3月にサービスを開始したahamoの魅力は、際立ったシンプルさにあった。料金は、競合の動きを睨んでサービス開始前に税抜2,700円(税込2,970円)へと改定され、当時の標準的なプランを大きく上回る月間20GBのデータ容量を提供。さらに、1回5分以内の国内通話無料が標準付帯され、これは通話オプションを別料金とした競合に対する明確なアドバンテージとなった。ネットワーク品質については、親会社であるドコモの高品質な4G/5G網を利用可能とし、信頼性の高い通信環境を提供した。従来の携帯電話料金プランにありがちだった複雑な割引体系や抱き合わせ販売を徹底的に排除し、透明性を追求。その徹底した「シンプルさ」こそが、分かりやすさを重視する若い世代の心をつかむことを目指したahamoの核となる価値提案だったのである。

価格競争の火付け役となったahamo

ドコモによるahamoの発表は、日本のモバイル市場に大きな衝撃を与えたが、競合他社も迅速に対応した。KDDI(au)は2021年1月に新ブランド「povo」を発表。月間20GBをahamoの当初発表価格を下回る月額2,480円(税抜)とし、5分かけ放題はオプションとした。ソフトバンクも追随し、「LINEMO」(発表当初はSoftBank on LINE)をpovoと同等の価格設定で投入した。大手3社によるオンライン専用低価格ブランドの相次ぐ発表は、市場の価格競争を一気に激化させ、ドコモがahamoの価格をサービス開始前に引き下げる要因にもなったと考えられる。

これらの動きがもたらした市場への影響は劇的であった。総務省のデータによれば、大手キャリアが提供する月間20GBプランの料金水準(東京)は、ahamo発表前の2020年3月から各社が出揃った2021年3月までの1年間で6割以上も低下した。これは消費者にとって大きなメリットとなった一方、それまで価格競争力を武器としてきたMVNO(仮想移動体通信事業者)にとっては厳しい状況をもたらした。大手キャリア自身が低価格帯に有力なブランドを投入したことで、MVNOの価格優位性が揺らぎ、結果として大手3社の寡占が強化され、市場の多様性が損なわれる可能性も指摘されるようになった。

シンプルさ、海外ローミング、そして戦略的な「線引き」

価格競争力に加え、ahamoは「シンプルさと透明性」という独自のアイデンティティを確立しようと努めた。その特徴を際立たせた要素の一つが、手厚い国際ローミングサービスである。追加料金なしで、国内データ容量(月間20GB)を多くの国・地域(当初91)でそのまま利用できる仕様は大きな魅力となった(海外連続利用15日間の制限あり)。これはターゲット層である若者の海外渡航ニーズに合致し、料金以上の価値を提供した。

同時に、ドコモはahamoと既存プランとの間に明確な境界線を設けた。サポートはオンライン中心を基本とし、家族割引である「みんなドコモ割」の回線数カウント対象にはなるものの、ahamoからの発信は家族間無料通話の対象外。端末販売も当初はahamoサイトに限定された。これらの戦略的な「線引き」は、ahamoの魅力をターゲット層に訴求しつつ、既存プランからの顧客流出を最小限に抑えるための、緻密な計算に基づいていた。競争力と、既存事業保護のバランスを取る戦略だったのである。

進化と持続性:変化への適応とブランド価値の確立

ahamoはサービス開始後、順調に利用者を獲得し、数週間で100万契約を突破。その多くが狙い通り30歳未満の若年層だった。しかし、オンライン完結モデルには課題も顕在化し、手続きの煩雑さや物理的なサポートへの要望も上がった。ドコモはこれに応え、ドコモショップでの有料サポート(1回3,300円・税込)を提供開始。当初のコンセプトと現実的なニーズとのバランスを図った。

大きな進化は2024年10月に訪れる。標準プランのデータ容量を月20GBから30GBへと増量しつつ、料金は税込2,970円に据え置いた。背景にはデータ消費量の増加トレンドと、ahamoユーザーの解約率が比較的高かったという課題があった。このデータ増量は、サービスの魅力向上と顧客基盤強化を目的としたもので、単なる値下げ競争ではなく、ギガバイトあたりの価値向上で応えるというドコモの判断を示した。

さらに特筆すべき動きとして、2023年7月には固定ブロードバンドサービス「ahamo光」を開始した。これは、モバイルブランドであるahamoの名を冠した光回線サービスであり、顧客の囲い込みを強化する狙いがある。NURO光(ソニー系)やauひかり(KDDI)のように、固定回線ブランドがモバイルサービスに進出する例はあったが、ahamoのようにモバイル発のブランドが固定回線市場へ進出するのは異例の展開と言える。この動きは、ahamoブランドの拡張性を示す一方で、モバイル単体の「シンプルさ」を核としてきたブランドイメージに変化をもたらす可能性もはらんでいる。

ahamoの価値を最もよく示しているのは、その「持続性」かもしれない。ドコモはその後も主力料金プランを何度か刷新したが(irumo/eximo導入、ドコモ mini/MAX導入)、ahamoは基本的なコンセプトを変えることなく提供され続けている。これは、ahamoが「シンプルさ」と「十分なデータ容量」を求める確固たる顧客層を開拓・維持し、ドコモ全体のポートフォリオの中で、主力事業を過度に侵食することなく独自の価値を提供し続ける存在として確立されたことを示している。

巨人が示した変革力と、未来への布石

ahamoの物語は、単なる低価格ブランドの成功譚に留まらない。それは、通信業界の「巨人」たるNTTドコモが、自らの意思で大きな変革を成し遂げられることを証明した、画期的な事例である。ワイモバイルやUQモバイルのようなサブブランドとは一線を画し、ahamoはドコモ本体の中から生まれ、技術(オンライン完結)、マーケティング(デジタルネイティブ特化)、サービスデザイン(徹底したシンプルさ)のすべてにおいて、従来のドコモの常識を打ち破る「革命」を内部から起こしたのだ。

この挑戦は、ドコモが持つ変革への潜在能力と、変化する市場への適応力を明確に示した。ahamoは、ドコモにとって戦略的に不可欠な資産へと成長し、既存の大企業であっても大胆な自己変革が可能であること、そして特定のニーズ(ここでは「シンプルさ」)に深く応えることで新たな価値を創造できることを実証した。

データ容量の増量や、異例とも言える固定回線サービス「ahamo光」への進出に見られるように、ドコモはahamoを通じて、依然として日本の通信業界におけるスタンダードを形成し、市場をリードする存在であり続けている。ahamoが今後、その核である「シンプルさ」を失うことなく、どのように進化を続けるのか。その歩みは、ドコモ自身の未来だけでなく、日本の通信市場全体の動向をも占う上で、極めて重要な意味を持つ。ahamoが切り拓いた道は、低料金という価値を超え、変化の時代における新たなサービスモデルの可能性を示唆しているのである。


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