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ゼロの大胆さ:政治的圧力とデジタルな賭けが日本の携帯電話カルテルを覆した物語

長年にわたり、日本で携帯電話の契約を結ぶことは、選択というよりも、時に財政的な痛みを伴う儀式に似ていた。東京の複雑な地下鉄を乗りこなすにも、単に繋がりを保つにも、人々は高額な月額料金と複雑な契約条件に縛られがちだった。技術立国と称賛される日本にあって、スマートフォンを持つことは依然として重い負担となり得たのだ。NTTドコモ、KDDIのau、ソフトバンクという強力な三社が市場を寡占し、小規模なMVNO(仮想移動体通信事業者)が提供するわずかな割引も、大勢に影響を与えるには至らなかった。電波は公共の資源というより、まるで高価な私道のように感じられた。

変革の波は、業界内部からではなく、国の最高権力層から訪れた。2020年、当時内閣官房長官であり、後に首相となる菅義偉氏が、携帯電話料金の「4割値下げ」という異例の要求を公に突きつけたのだ。この宣言は通信業界に衝撃を与え、大手キャリアのビジネスモデルの根幹を揺さぶった。政府のメッセージは明確だった。「携帯ネットワークは公共の電波を利用している以上、国民が納得できる料金設定が求められる」。これは単なる規制圧力ではなく、業界の巨人に根本的な変革を迫る直接的な挑戦状だった。

コンセンサスと漸進主義を重んじる日本の文化において、基幹産業に対するこれほど直接的な政治介入は稀であった。しかし、スマートフォンが生活必需品となり、ほぼ全国民に行き渡る中で、その高額なコストは国民全体の関心事となっていた。菅氏の取り組みは、新設されたデジタル庁の構想とも連動し、日本のデジタルインフラを近代化し、通信費の高さが家計だけでなく国のイノベーションの足かせとなっている現状を打破しようという、より大きな野心の一環だった。「4割」という具体的な数字は、既存の価格体系に楔を打ち込み、過去の微調整では達成できなかった本質的な変化を促す、戦略的な一手だったと言える。

KDDIの賭け:革命を設計する

大手キャリアが一様にプレッシャーを感じる中、KDDIは他社とは異なる、より大胆な道を選んだ。その背景には、同社が持つ独自のDNAがあった。エンジニアリングの伝統と革新への意欲、そして実験を厭わない精神。2000年にDDI、KDD、IDOという成り立ちの異なる三社が合併して誕生したKDDIは、NTTドコモのような旧電電公社由来の官僚的背景や、ソフトバンクのような積極的なグローバル投資戦略とは一線を画していた。日本の通信インフラを静かに支えながら、衛星通信や国内初の全国CDMAネットワークの開拓といった分野で、技術的なフロンティアを切り拓いてきた「静かなる技術者集団」としての側面を持っていた。

この適応力と革新の文化は、KDDIの中に脈々と受け継がれている。経営陣は自社を単なる巨大企業ではなく、新たな挑戦を生み出すプラットフォームとして捉えている節がある。社内で語られる比喩がそれを象徴している。KDDI本体は安定とリソースを提供する「大型タンカー」であり、povoのような新規事業は、母船に繋がりながらも、機敏に動き回り、実験的な試みを行う「スピードボート」なのだと。

コンプライアンスから破壊的変革へ:povoの誕生

政府からの値下げ要請に応える形でKDDIが2021年3月に開始したpovo 1.0は、オンライン専用で月額2,728円(税込)で20GBのデータ容量を提供するプランだった。通話定額など必要な機能は「トッピング」として追加できる柔軟性も持ち合わせていた。このプランは市場のニーズを的確に捉え、特に20代~30代を中心に支持を集め、サービス開始から短期間で100万契約に迫る勢いを見せるなど、事業としては大きな成功を収めていた。

しかし、KDDIはこの成功に安住しなかった。「auやUQ mobileが存在するなかで、povoで(他社と同様のパッケージ型プランを)手掛ける意義はあんまりない」「最大公約数に最適化していくと、イノベーションすることもできないのではないか」と、当時のKDDI Digital Life社長、秋山敏郎氏は考えていた。povo 1.0提供開始時点で、すでに「povo 2.0」の構想は存在しており、「通信会社とお客さまの新しい付き合い方」を模索していたのだ。20GBという固定容量プランでは捉えきれない、より多様化し、細分化するユーザーニーズに応えるため、そして何よりも「思い切ったことをやりたかった」「どんどん変えて、挑戦していかなくてはいけないという強迫観念のようなものは、KDDIのDNA」という強い意志が、次のステップへと向かわせた。

目指したのは、ユーザーが「どうコントロールするか」「どうカスタマイズできるか」を突き詰めた形であり、「使いたくないときに支払うのはよろしくない」「利用時に料金が発生する」のがフェアであるという考え方だった。複数のシナリオが検討される中、「基本料0円」というアイデアは当初から存在していたが、最終的に「中途半端なことではなく、思い切った決断をすべき」というKDDIのDNAに基づき、この大胆なモデルが選択された。

この革新的なプランを実現する上で鍵となったのが、シンガポールのCircles.Lifeとの協業だった。同社が持つクラウドネイティブなSaaSプラットフォーム「Circles X」を活用することで、KDDIの既存システムでは実現困難だった柔軟性と開発スピードを獲得した。パンデミック下でのリモート連携という困難を乗り越え、わずか16週間という驚異的な短期間でpovo 2.0の開発が完了した。

そして2021年9月下旬、povo 1.0の新規受付を終了し、povo 2.0がサービスを開始した。月額基本料0円、データ通信や通話、コンテンツ利用などはすべて「トッピング」として都度購入する、オールトッピング方式である。これは単なる料金改定ではなく、「君にピッタリの自由へ、一緒に。」というブランドコンセプトを体現し、ユーザーが自らの意思でサービスを組み立てる、通信サービスのあり方を根本から問い直す挑戦だった。

KDDI Digital Lifeの前社長、秋山敏郎氏は「たとえば交通系ICカードはプリペイド式だし、QRコード決済はチャージ式。チャージ式やプリペイド式はすでに浸透しており、通信をデザインし直す際、そういったもの(方式)を軸にUIやUXを設計した」とその着想を語る。営業・マーケティング責任者の中山理賀氏も「顧客に最大限の自由を与えるためには、ゼロから始めるのが最良だと気づいた。povoはお客様が主役になれるブランドですから」と述べている。

このゼロ円モデルは、収益をトッピング購入に完全に依存するという、大きな賭けでもあった。楽天モバイルの段階的料金とは異なり、「povoはほしいときに買う」モデルであり、ユーザーのアクティブな利用が前提となる。秋山氏はこのモデルについて、サービス開始時に「今回の発表内容がサービスの完成形とは考えておりません。お客さまからフィードバックをいただき…よりご満足いただけるサービスへと、日々進化していきたい」と、継続的な改善と進化への意欲を示していた。

トッピング生活:柔軟性と複雑性の融合

povo 2.0の利用体験は、専用アプリが中心となる。ユーザーは、3GB/30日間、150GB/180日間といったデータ容量、24時間データ使い放題、様々な通話オプション、あるいはDAZNやsmash.といったコンテンツサービスの利用権が付いたデータバンドルなど、豊富なメニューから必要な「トッピング」を選んで購入する。秋山氏が「ゴルフバッグに複数のクラブが入っているようなもの」と例えたように、状況に応じて最適な組み合わせを選ぶことができる。このトッピングメニュー自体も、ユーザーからのフィードバックや、熱心なユーザーが参加する「povo Labs」での試行錯誤を通じて、常に進化を続けている。

しかし、この究極とも言える柔軟性には、留意すべき点もある。まず、データトッピングを購入しない場合、通信速度は最大128kbpsに制限され、現代のウェブサイト閲覧や動画視聴には厳しい。次に、各トッピングには有効期限があり、期限を過ぎると未使用分のデータやサービスは利用できなくなる。さらに、「180日間ルール」と呼ばれる規定があり、半年間トッピングの購入や従量課金(通話料など)が合計660円(税込)に満たない場合、利用停止となり、その後契約解除に至る可能性がある。支払い方法は基本的にクレジットカードだが、「あと払いペイディ」を利用すればコンビニ支払いや銀行振込も可能だ。

NTTドコモのahamoやソフトバンクのLINEMOが提供する、シンプルで分かりやすい月額プランや、楽天モバイルの利用量に応じて料金が変わる段階制プランと比較すると、povo 2.0は全く異なるアプローチを取っている。KDDIの高品質なネットワークを利用しながら、MVNOのような自由度とカスタマイズ性を提供する、ユニークな立ち位置にある。

povo 2.0は、ユーザーに最大限のコントロール権を与える代わりに、ある程度の自己管理能力を要求するサービスと言える。コストを最適化したい、自分の使い方に合わせて細かく調整したいという意欲のあるユーザーにとっては比類なき自由を提供する一方で、常に利用状況を把握し、有効期限や180日間ルールを意識する必要がある。サポートもオンラインが中心となるため、デジタルサービスに慣れ親しんでいること、あるいはセカンドSIMとして、あるいはWi-Fi環境を主として利用するユーザーに向いていると言えるだろう。

未来:AI、組み込み型コネクティビティ、そしてグローバルへ

KDDIの挑戦は止まらない。2024年に就任した新たな代表取締役社長、髙橋 誠氏(編集注:原文の松田氏は誤りのため修正)の下、同社はAI分野への投資を加速させている。単に通信接続を提供するだけでなく、AIを活用して顧客の「生活」そのものをサポートする存在へと進化することを目指しているようだ。アジア最大級となるAIデータセンターの構築計画や、企業向けAIサービス基盤「KDDI AI-Collaborator」、AIスタートアップELYZAの子会社化などは、その表れと言える。

そしてpovo自身も、次の段階へと進化しようとしている。「povo 3.0」とも呼べるその構想は、povoというブランドが前面に出るのではなく、通信機能を他のサービスに「溶け込ませる」、いわば「見えないインフラ」となることを目指すものだ。この「ホワイトレーベル化」戦略の中核を担うのが、パートナー企業に提供されるソフトウェア開発キット(SDK)である。秋山氏はかつて、povoの名前をあえて出さない「自我を消し」、パートナー企業のためのコネクティビティとして機能することが理想だと語っていた。

このSDKを活用することで、例えばKDDIグループの一員となったローソンのような企業は、自社のアプリ内にpovoの通信機能を直接組み込むことが可能になる。これにより、顧客はローソン店舗への訪問で無料データ(ギガ)を獲得したり、コーヒーと一緒にデータトッピングを購入したりといった、よりシームレスで付加価値の高い体験を得られるようになるかもしれない。実際に、過去にはサーティワンアイスクリームやローソンの「からあげクン」といった商品とデータトッピングをセットにしたキャンペーンも展開された。秋山氏によれば、「ギガ活」(提携店舗での買い物などでデータ容量を得られる活動)もこの延長線上にあり、「生活のなかの商品に、ギガがついてくる」という発想、つまりデータ容量そのものを一種の「価値」として様々なものに付加していく考え方が根底にある。

SDKパートナーはローソンに留まらない。DMM、ABEMAといった国内サービスに加え、TikTokを運営するByteDance、FacebookやInstagramを提供するMetaといったグローバル企業も名を連ねる。これらの提携を通じて、各社のアプリ内でのpovo機能の統合や、日本を訪れる外国人向けのサービス提供などが進めば、コネクティビティが他のデジタル体験に織り込まれ、povoの利用シーンは国内外で大きく広がることになるだろう。

同時に、povoはKDDIにとって重要な「サンドボックス(実験場)」であり続けている。トッピングの購入が比較的少ない時間帯に短時間限定のお得な「ゲリラトッピング」を提供したり、アプリ内に「Explore(探索)」タブを設け、一部ユーザーに試験的な機能を先行提供したりと、常に新しい試みが繰り返されている。将来的には、サービスのさらなるオープン化や、本格的なグローバル展開も視野に入れている。

まだ続く物語:挑戦のDNAとグローバルな未来

povoの歩みは、政治の強い意志、戦略的な企業提携、そして技術的な機敏さが三位一体となって実現した、通信業界における革新の物語である。それは、市場を支配する巨大企業でさえ、外部からの圧力と内部からの挑戦意欲があれば、旧来のビジネスモデルを打ち破り、ユーザーに選択の自由(と、それに伴う責任)を委ねることで、市場そのものを再定義できる可能性を示している。

消費者にとって、povoは依然としてユニークで魅力的な選択肢であり続けるだろう。ただし、それはデジタルツールを使いこなし、自らの利用状況を管理することを厭わないユーザーにとって、という注釈が付く。しかし、その意義は単なるニッチな利用者層を超えて広がっている。伝統的な月額課金モデルが支配的だった携帯電話サービスの世界に、オンデマンド型のデジタルサービスがどこまで融合し、境界線を曖昧にしていくのかを占う試金石でもあるのだ。

2025年3月末でKDDI Digital Life社長を退任し、KDDI本体へと活躍の場を移す直前のインタビューで、秋山敏郎氏はこの挑戦的な事業を振り返り、自己採点を「60点ぐらいかな」と控えめに語った。リスクの高い事業をチーム一丸となって軌道に乗せたことを評価しつつも、「イノベーションは、2弾、3弾とやっていかなきゃいけないので、そういう意味ではまだ道半ばです」と述べ、povoの進化がまだ途上であることを強調した。そして、「KDLとしてもKDDIとしても、povoをグローバルに持っていかなければならない。KDDIがグローバルに行くための商材として使っていく」と、その先のグローバル展開への強い意志を滲ませた。

AIという新たなテクノロジーを羅針盤に加え、さらなる変革の海へと漕ぎ出すKDDIにとって、povoはその実験精神を体現する「スピードボート」であり続けるだろう。基本料ゼロ円という大胆な決断の根底にあった、「どんどん変えて、挑戦していかなくてはいけない」というDNAに突き動かされ、その冒険はまだ終わらない。新たなリーダーシップの下、グローバルな舞台も視野に入れながら、トッピング一つずつ、未来を書き換えながら。


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